【ゲーム哲学】グラブルに学ぶ楽しいと苦しいの境界線
グランブルーファンタジー、通称グラブル内で最大のイベント
「2019年4月風古戦場」が、本日をもって終了した。
私は50000位ほどにランクインしたのだが…正直に言ってかなり「苦痛」であった。
これを機に、最近自分の頭の中でぐるぐると回り続けている「ゲーム哲学」の一つを文章として残す。
決してグラブルのネガキャンをするだけでは終わらない文にする。時間が許すなら読んでほしい。
「楽しい」と「苦しい」のライン
文頭でグラブルが苦痛だと書いたが、
「ならやらなきゃいいじゃんw」と万人はいうだろう。確かにその通りだと思う。
しかし、間違いなく古戦場は「楽しい」のだ。
例えば、「肉集め」と言われるEX+の周回。
ここでは、日々グラブルをプレイして強化してきたことが報われる。
攻撃力を最大限高めることで敵を1ターンで倒し続け、報酬の肉や戦果を大量に、かつ効率よく獲得できる。
頑張って強くなったことでより強くなれる。これは所謂「ハック&スラッシュ」のサイクルである。
ハクスラMMORPGをスマホでプレイできるよう再構築されたグラブルがここにはちゃんとある。
例えば、HELL。
強力なボスを、いかに素早く倒せるかを競うタイムアタックである。
強くなる、というのが目的のハクスラの最終目標に当たる。
「何のために強くなるのか」の答えであり、極端に言えばボスを倒すというのがハクスラをやる理由である。これは楽しいし、逆に言えばこれを楽しめないのならば古戦場に参加するべきではない。
しかし、古戦場は「苦痛」である。問題は「義務」と「虚無」である。
EX+にしろHELLにしろ最初しばらくは楽しい。アニメを見ながらのEX+であったり、チャットしながらのHELLであったり。
だが、団ランキングや個人ランキングの存在により「やらなくてはならない」ものになってしまう。これが義務だ。
他のプレイヤーたちより多く貢献度を稼がなければいけないと全員が思うため、互いが互いに苦しめあうという構図が生まれてしまうのだ。
また、雀の涙ほどの戦果しかもらえないHELLを、固定化した戦略で狩り続けなければならないのも苦痛だ。
ディアブロをプレイして思ったのだが、古戦場は「最強の装備をあらかじめ用意して決められたボスを何時間も倒し続け、装備はドロップしないディアブロ」という虚無なのだ。
人は常に変化を求め生きている。楽しいという感情は変化から生まれる。何も変わらないものを見つめ続けられるのは感情のないロボットだけだ。
ゲームは絶対にエンターテイメントであり、負の感情でやるべきものではない。
文にすることで考えが幾分か整理することができた。今後も少しづつ形にしていきたい。